中3 4

中学3年
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咲は死ぬ邪魔をした私を責めなかった。私の気持ちを考えたのかもしれない。話しても無駄だと思ったのかもしれない。私はそんな娘の気持ちについて、その時全然考えることができなかった。思いやることができなかった。

自分の大切な娘が自殺未遂を何度もしていて、今日は本当にあと少しで成功するところだったという衝撃で頭がいっぱいだった。

私は自分で気が付かないままさらに追い詰めることを言った。

「お願いだから死なないで

絶対死なないで」

咲は答えた。

「わかった。死なないよ」

そう言ったときの墨で真っ黒に塗りつぶされたような暗い瞳を今も思い出す。

 

その後も私は何度も自殺未遂の原因について同じようなことを聞いた。私の娘は辛抱強く一つ一つに答えた。そんなやりとりを堂々巡りに繰り返した。

そしてだんだんとわかってきた。これは夢ではない。現実に今起こっていることなのだと。

頭が痺れていてうまく働かなかったし、ずきずき痛かった。。涙と鼻水で鼻も口も喉も痛かった。瞼が腫れてひりひりした。息を吸い込むたびに胸が痛かった。でも自分にかまっている場合ではなかった。私は夫に連絡した。

夫も咲の部活のつらさやクラスの悩みをよく知っていた。よく三人でそのことを話していた。部活を引退するまでの状況も、部員たちの性格もよく把握していた。部内でのトラブルも、全てではないのかもしれないけれど、話してくれていた。

私たちに話すことでストレスを発散できていると思っていた。

部活引退後は、現在のクラスでどんな思いを抱えているか、どうしたいのかも話してくれていた。

そして私たち両親も娘の話が自分の体験のようにリアルに感じられ、一緒に私たちもつらい思いを味わってきた。だから私たちは娘の気持ちをずっと理解してきたつもりでいた。

私も夫も自分の考えやアドバイスを話していたし、娘もそれをちゃんと受け入れて聞いていると信じていた。不安もあったが乗り越えられると思っていた。

「誰だって悩みはある」「苦労が人間を磨く」「嫌な奴はどこにでもいる」「ここで逃げてると他でも逃げるようになる」と、どこかで聞いたような言葉をまるで呪文のように心の中で繰り返し、「誰でも通る道だから」と私は自分を納得させていた。アドバイスをしていたのは娘に向ってだけ話していたのではない。自分の不安を打ち消すために自分に向っても話していた。

 

行けば心身を痛めつけられるだけだと知っていたのに、あの子は部活を決して休もうとしなかった。他の父兄と相談しようと言っても拒否した。その部活は消耗するだけしてようやく初夏に終わった。そして部活を引退してからのクラスのトラブルにもあの子は逃げずに立ち向かった。

そんな様子を見て私たちは「我慢強い、忍耐力がある」と思い、うちの娘をよく褒めた。

わたしたち両親は部活引退後は一連の体験を「過去の嫌な思い出」になったと思っていた。

でもおそらく実際には部活を引退してからも心に負った傷がどんどん大きくなってきていたんだと今は思う。そんな様子は全く私たちに見せなかった。家ではよく笑い、明るく振舞っていた。いつのまにか咲の心が死を望むようになっていたとは全く気が付かなかった。私たちは咲の心を理解したつもりになっていただけだった。