中3 17 校長室

中学3年
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数日後に欠席した日の夜、

桜井先生から咲に電話がかかってきた。同じ部屋で私は咲の応対する声を聞いていたが、途中で「ちょっと離れてほしい」と言われて部屋を出た。しばらくの間咲が話す声が聞こえたが内容まではわからなかったが、この時私は直感で自殺未遂のことを話したのだと思った。咲は話した後内容については何も言わなかった。私も聞かなかった。言わないのならそっとしておく方がいいだろう。

翌日先生から私に日中に電話があった。昨日の直感は当たっていた。「咲さんが自殺未遂した話を昨日本人から聞きましたが本当でしょうか?」と開口一番に先生は聞いてきた。

「はい。」私は答えた。「言えませんでした。」と。

「そのことで今日学校に来てほしいのですが時間は何時が都合がいいですか?」

私は完全下校時間を過ぎた時間を指定した。授業参観や個別面談でもない普通の日に親が学校に行ったら同級生たちが訝しむのではないかと思ったからだった。(小学校からの同級生ばかりの小さい中学校だったため生徒同士はわりと親の顔まで知っている) 私自身も校内に生徒がいると思うと話しにくいと思った。

 

翌日夕方の6時に私は中学校に行った。桜井先生はすぐに私を校長室に案内した。校長室に入るとそこには他に校長先生、教頭先生、学年主任の先生、保健の先生、それから他にメガネをかけた女の方がいた。咲が自殺未遂した日に桜井先生と一緒に家まで来た体育の先生は同席していなかった。とても気おくれしてしまったがその先生方と一緒に校長室のテーブルを囲むように古い革のソファーに腰かけた。

「お母さん、忙しいところすみません」誰だか忘れてしまったが、その中の誰かがそう言った。「いえ、時間を取って下さってありがとうございます」そんな言葉が口をついた。

最初に話し出したのは桜井先生だった。これまでの咲の経緯を淡々と話していく。聞いているうちにどうしょうもなく辛くなりどんどん涙が出てきた。泣くまいと膝をつねって叩いても止められずに嗚咽しながら話を聞いた。

こんなことで話題になる子じゃなかった。本来ならあと少しの中学校生活を楽しみ、受験勉強を頑張るごく普通の中学生のはずだった。それが今はどうだろう。親の私は「我が子の自殺未遂の経緯」を議題に校長室のソファーで先生方に囲まれている。どうしてこうなってしまったのだろう。校長先生が途中でティッシュを私に箱ごと渡してくれた。

状況を一通り話したあと、桜井先生は事実関係について私に修正点や追加点を訪ねてきたが、先生の話す概要は理路整然としていた。あえて不足を言うなら人の感情が入っていない点だけだった。咲は私が部屋のドアノブを取り外したことまで先生に話していた。

「その通りです」「先生の電話のおかげで娘が自殺しないですみました。ありがとうございました。お礼が言いたかったんです」これも口をついて出た言葉だった。

本当に先生の電話がなかったら、咲は日中誰のいない家ですでに自殺してしまっていたはずだった。

でも感謝する一方で咲があの状態になってしまった原因の一端は先生にもあるという気持ちもあった。お礼を言いたい気持ちもあり、一因だという責める気持ちもあった。

それでもお礼は言って良かったと思う。先生には「自分は電話をかけて生徒を一人救った」と思っていてほしかった。もしかしたらそう思うことで電話を自分の他の生徒にマメにかける習慣が強固になり、もしかしたらそれがきっかけで他の生徒さんを救えることになるかもしれないのだから。

桜井先生は話を聞いて次の日すぐ市の保健師さんに連絡を取って相談したのだという。メガネの女の人はその保健師さんだった。松本さんという名前だった。