中3 26 校長室に行った次の日

中学3年
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学校側はこのあともうつ病になってしまった原因について追及することをずっと避けていた。話そうとすると今回みたいに話題を変えるか無反応になるかだった。 

当時は自分の娘のことで精いっぱいだったからそのままになってしまったけれど、鴻上さんの言葉を借りれば「ことなかれ主義」「隠蔽主義」「無責任主義」のままだと同じような生徒が出てきてしまう。

私は咲が所属していた部活の制度の理不尽さや、クラスのもめごとを生徒数名に解決させようとしたことについて糾弾した方がよかったのだと今は思っている。糾弾していたら全体の雰囲気は変わらなくても関わった先生方だけでも変化があったかもしれないし、もしかしたら少しは考え方が変わったかもしれない。※全ての学校がダメとは思わない。世の中にはちゃんといい学校もたくさんあるのだろう。

翌日咲は疲れている様子だったが学校へ行った。少し無理をしているとわかっていても私は学校に行ってくれた方が私には安心だった。いくつもの先生の目が見ていてくれるからだ。

咲は休むことで周囲に怠けているように見られるのを嫌がっていつも無理しようとする。その考え方は部活でも自分を追い込んだ。無理な練習で体が痛くても、土日の遠征で休息が取れなくても、期待されるプレイができないことから孤立しても、決して部活を休まなかった。最後まで部活をやり遂げてから発症した。

どうして辞めさせなかったのか。私はどうして部活を続けるのを止めなかったのか。見送りながら涙がにじんだ。その時は精神が鍛えられるとか、途中でやめると他のメンバーに迷惑がかかるとか、波風立てたくないとか内申書に部活は3年生までやり終えたと書きたいなどの理由があった。でもうつ病になるまで我慢させてしまったのは辞めさせなかった私のせいだ。咲には辞めることを選ぶことなんてできなかったのだから。

会社を辞めてずっと咲をマークしていたほうが正解だったのかもしれない。

しかしその場合は咲が私のことをとても負担に感じるだろう。生活が苦しくなるし、自分のせいで会社を親が辞めたという事実そのものも負担に感じるだろう。一度辞めたらもう同じ会社には戻れない。次の働き口が見つからない場合はどうするのか。

これもいつもの堂々巡りだった。答えはわからなかった。それに「こうしておけばよかった」と後から言っても、それは結果を見ているから言えるのだ。決めたときには正解はわからない。考えて悩んで、その上で一番良いと思える手段を選ぶけれど、すぐには正解はわからない。そして選んだ手段が失敗だとわかっても後から「なかったこと」にもできない。そもそも選択肢の中に正解は入っていなかったのかもしれない。

この先も手探りで進むほかはない。時間が経った後振り返ってみて正解がわかるのだろうか。