中3 27 私の胸中

中学3年
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その日の午後に保健師の松本さんから電話がかかってきた。大野医師と連絡を取って咲の事情を話したところ、医師から学校の先生と私と市側の保健師とで集まって相談したいと言われたのだそうだ。日程は明後日の朝9時と指定された。場所は前回行った診察室だった。

咲に言わないでおこう。私は思った。騒がれるのを嫌い、普通に接してほしいと言っていたからだった。

 

 

実は私には自殺した妹がいる。妹は成人前に死んでしまった。だから私はもともと自分の子供のことには過保護で神経質だった。実樹にも「うちの保護は強い」と言われたことがある。

咲の自殺未遂は私の妹の自殺と重なった。妹の骸と咲のイメージが重なった。それがより私を苦しめてきた。だから「普通に接する」ということは私にはできなかった。どうしてもいろいろなことを問い詰めてしまって嫌がられた。常に咲のことで頭がいっぱいだった。帰りが遅いと私は何も手につかなくなって不安と心配に支配される。心配すぎてかけてみた電話に咲が出ないと不安で何度もかけなおしてしまう。夫には電話をいちいちかけるな、と諫められていたがそれでも止められなかった。

咲の帰りが予定より遅くなり連絡も取れないままだと、私は帰りを待っている間に脱走したら行きそうなところを想像し、どこから行方を探そうか誰に電話をかけるかシミュレートする。私のこんな状態は咲が高校を卒業するまでずっと続いた。状態が良ければ不安は減ったし、状態が悪ければ不安が大きくなった。最初のうちは懸命に自分の不安を本人に隠すようにしていたけれど、途中から隠すこともやめてしまった。

咲は具合が悪いときはそっとしておいてほしいと言っていたが、私には「そっとしておく」ということはできなかった。

どのように具合が悪いのか?いつから悪いのか?何が原因なのかをしつこく聞いて本当に心底嫌がられた。

でも咲は自分のせいで親がおかしくなってしまったという負い目があるからか、具合が悪いのにさらに追い打ちをかけてくるような私に対していつも辛抱強く自分の状態を言語化して私にわかりやすく伝えようとしてきた。しかし本当に具合が悪いときはそれをひた隠しに隠した。そして女優並みの演技力でまあまあの調子を装った。どちらにしてもだいぶ無理をさせてしまった。