中3 42 転院が決まる3

中学3年
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この日は仕事に集中できないままだった。

このままでは第一志望の高校には落ちる。私は通学圏内で二次募集をしそうな公立高校と遠方の私立高校について調べることにした。

病気になる前は第一志望の高校にすんなり入ると思っていた。私立との併願はするけれど併願の受験料がもったいないなと思っていた。咲が受験に失敗するなんて考えられなかった。

あの子が病気になってしまってからすべてが変わった。別の世界に来たみたいだ。少し前まで私たちが属していた世界に戻りたかった。でも私や夫が気が付かなかっただけで、咲はとっくの昔から地獄みたいな世界を味わってきていた。私や夫にとっては数か月前に戻れは元の世界だったけれど、咲にとっては中学の入学前、入部前が元の世界なのかもしれなかった。

それだけ長くつらい時期を過ごしてきていたのにこれからもまだ辛い思いを続けさせたくない。入院したら良くなると信じるしかないのだろうか。でも私にとっては入院は受験の失敗につながっているように思えた。入院したことでいっとき状態が良くなっても、その後受験に失敗したらまた状態が悪くなるのではないだろうか。その時に「入院さえしなければ合格したかもしれなかったのに」と後悔するのではないだろうか。

どうしていいのかわからなくなった。進む道が見えなかった。本を見てもネットを探しても咲くらいの年の子のうつ病の症例は見つけられなかった。もしこの時にその情報を見つけられていたらずいぶん救われたと思う。勇気づけられたと思う。

現実には少しの灯りも見えなかった。

私は人に相談することがなかなかできない性格だった。悩みや心配事はいつも心の奥底にぎゅうぎゅうに押し込めて蓋をして終わらせていた。何かのはずみでその蓋を開けてしまうと抑えていた感情が爆発してしまって自分でも収拾がつかなくなる。だから子供のこともどこにも相談はできなかった。

今にして思えば咲が部活で悩んでいるときにネットの悩み相談にでも投稿すればよかった。他の人のアドバイスをもらっていたら部活を辞めさせる決断ができていたのかもしれない。傍目八目は本当だ。

ここまできて初めて私は人に相談しようと思った。そこで尊敬しているある先生に相談メールを送ってみた。厳しいが温かいメールが返ってきた。叱咤激励や行動の指針(本気で死ぬ気で取り組め等)の他にEMDRは試してみたか?という内容だった。

メールの文面を何度も読み返し内容を頭にしみこませた。それから先生にお礼のメールを返した。私は本気で死ぬ気で取り組むと改めて決意した。

この私の勢いが実は咲にとってずっと大きな負担となって続いた。決意することはとても良かったのだがその情熱は心の中で燃やすだけにしておいて咲には普段どおりに接していたほうが良かった。私の猪突猛的行動はかえって症状の悪化を招いたのかもしれない。プレッシャーを感じ、重苦しく不快だったし負担だった。本人は私に遠慮してそう言えないでいた。当時は全くそのことに気が付かず弱っている咲にさらに辛い思いをさせてしまった。本人がその時に望んていたのは、「休ませてほしい、そっとしておいてほしい、甘えに行ったときには甘えさせてほしい」ということだった。個人的な意見です。やってはいけない行動は人によって違うと思います。