中3 57 年内最後の一人図書室登校日

中学3年
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年内の最後の一人図書室登校日に咲が

「先生がこっそりお菓子をくれたよ」と少し笑って言った。

子供が笑った。そんなことが嬉しかった。今日みたいに笑ってくれたら私は何でも耐える。だからもっと笑ってほしいと思った。

咲が部活を引退してからの束の間の普通の暮らしはすっかり過去になってしまっていた。(実樹も高校で部活をやっていたが咲のようにひどい環境ではなかった)

今は咲の病気を中心に生活がまわっていた。私の関心は常に咲にあった。

ちゃんと生きているか。調子はどうか。起き上がれるのか。学校に行けるのか。ずっと状態を把握しようとなるべく傍にいた。毎日の子供の些細な変化が増幅されて何倍もの刺激になって私に響いた。

ただ傍にいても自分は味方だ、咲が大切だと伝え続けることだけしかできなかった。しかしそれすらも全く本人の心に届いていないのはよくわかっていた。

虚ろな目をしているとき、無理に笑おうとする不自然な口元を見たとき、

辛そうにしているとき、泣きそうなとき、

私に何かできるのならすぐにでも何でもしてやりたかった。代われるなら私が代わりたかった。もしもあの子の辛さが苦しさが少しでも減るのなら喜んで引き受ける。代わりに私の持っているものを何でも差し出す。何も惜しくない。

でもできることはなかった。抗うつ薬を飲んでいる、休んでいる。いつもよりももっと辛いときには抗不安薬を飲んでいる。それ以上もう対処方法がなかった。

自分は無力だと思い知った。親としての自信もなく、苦しむ子供の何の力にもなれない。

でも泣いているだけでは状況は変わらない。私はうつ病に関する本を読みネット検索していい治療法を探し続けた。

私がそんな風だったので実樹には負担をかけてしまった。実樹だって悩みもあるたった17歳の高校生だった。母親の関心が全部妹に行っているということは実樹には辛いことだったと思う。

夫は私が咲にべったり張り付いたこともあり、少し遠くから俯瞰するような視野で咲を見ていた。それでバランスが取れていたのかもしれない。

 

 

私たち夫婦も一日違いで年末から正月の休みに入った。図書室登校は年明け後はあと2日間だった。その先は冬休みが終わって受験も卒業式も間近になる。1月中旬には保護者面談があってそこで志望校を確定させるはずだった。