中3 69 子供を病院に残して帰る

中学3年
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看護師さんに「週末に面会に来ます」と言って閉鎖病棟から出ようとすると「すぐに思春期病棟の方に移れると思います、週末までこの病棟にいるかどうかわからないのですが、移ったら連絡がありますから。」という内容を言われた。

たぶんあの子には思春期病棟の方が向いている。成人病棟の中では委縮してしまうだろう。同じような年ごろの子たちの中に紛れてひっそりしている方が安心するだろうし、自分と同じような症状の子と話すことができたら、健康な友達や家族と話すよりも気持ちがわかりあえてきっと楽しいだろう。あの子は自分の病気にたぶん負い目を感じている。

「早く移れるといい」そう思った。

お礼を言って閉鎖病棟から出ようとすると、見送りにきた看護師さんが病棟の入り口の鍵を開けてくれた。鍵を持っていない人は病棟へは自由に出入りができない。(言葉は悪いけれど)患者さんたちは軟禁状態なのだった。うちの子もその中の一人だった。

テレフォンカードがあるといいと言われていたので病院の中の売店に行ったけれど閉まっていた。外も暗くなっていた。

会計も無かった。

そういえば月末にまとめて請求書が郵送されると事務室で言われていた。郵送は必ずする決まりなので窓口に来て直接請求書を受け取ることはできない。それから郵送の封筒は病院の名前入りのもので良いか、茶封筒に院長の個人名を書いたもので送った方が良いか?そう聞かれたのだった。病院も気を使ってくれているのだ。茶封筒でお願いします、治療してくれているのに病院名を出すななんて、自分勝手だなと思いながら私はそう返事をしていた。

売店が閉まっていて会計も月末にまとめて支払うことになったので、夫にこれから帰るとLINEで知らせてからそのまま帰途についた。

車を走らせているとまた感情が込み上げてきた。もう悲しいのか寂しいのか何なのか自分でもよくわからなかった。でも感情に飲み込まれて止まってはいられない。咲が入院しても私自身の負っているタスクはそのまま変わらない。実樹もいる。帰っていつも通り家事をこなそう。その方が気がまぎれる。

家へと運転しつづけている途中で電話が鳴った。多分出た方がいい。直感でそう思って車を停められるところで停めた。電話はもう鳴りやんでいたが履歴を見ると中学校からだった。

私は要観察の生徒の親で、携帯電話の番号もばっちりマークされている。折り返しかけると必ずこの電話をかけてきた桜井先生が出る。そう思って折り返し電話をかけると、思った通り桜井先生が出た。

「咲さんが入院したと聞きました。状況はどうでしたか?」

そう聞かれて昼間に二宮医師に言われたことをざっと話した。学年主任の先生にも伝えていたが伝わっていないようだった。先生は私の話を聞くと

「今日給食を止めました」と言った。

「最初の反応がそれかい」と内心思ったが、この実務的な言葉には「咲はもう中学校に行かない」という意味があると気が付いた。もしも入院診療計画書の通り2カ月入院するのなら、中学3年生でいる間ずっと入院だった。もう中学校に行くことは本当にないのかもしれない。給食を食べることはもうないのかもしれない。

実際にそうなりました。

「ありがとうございました。気が付きませんでした。」私はそう返事をした。それから「入院したことはクラスに話したとしても、どこになんの病気で入院したのかはうまくごまかして下さい。それをみんなが知ってしまうと本当に学校にもう行けなくなります」と何度もお願いした。咲の性格上自分が精神病院に入院したことは知られることを嫌がるはずだった。

面会が一週間で15分ということや電話が一日10分ということも伝えた。先生は別枠なのかもしれないけれど、と付け加えて言った。