中3 70 担任からの電話

中学3年
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先生は「自分も確認してみます」と返事してきた。先生の口ぶりから学校側も私を介さないで病院と連絡を取っているようだった。

「今どう思っていますか?」先生は次にそう聞いてきた。まるで私の気持ちを聞いてきているような言い方だったけれど、咲の気持ちを聞いたのだと思った。先生が私個人の気持ちを聞いても意味がないはずだった。

「今は学校に行かなくても良くなったことでほっとしているんじゃないかと思います。時間が経つにつれて自分の状況がわかってくると思います。そうしたらどうなるのかはわかりません。ほっとした気持ちになっているのは今だけじゃないかと思います。」

入院したことで志望校の合格は無くなったと思ってそう言った。でも入院したら自殺される危険はもうない。入院で良かったのだ。

生きていてくれれば今はもうそれだけでいい。今のひどい体調や精神状態を毎日繰り返し見ていたら、今後回復することなんてあるのだろうか?と思ってしまう。ずっとこのまま良くならないんじゃないかと絶望しそうになる。

でも生きていればまだ未来がある。希望がある。私があの子にしてやれることがあるはずだ。

今はあの子は足元がふらふらしていて倒れそうな状態だ。というよりもう倒れているか。でもいつか立って歩きだす。もしかしたら足取りがしっかりしてきていつかジャンプするかもしれない。

その時に踏ん張れるように足元の私や夫がしっかり支えなければ。絶対あきらめない。私ができることを探し続ける。本気で、死ぬ気で。

もしも咲が自殺してしまっていたとしたらこれからあと永遠に何もしてやれることはない。仏前に花と線香を手向けるだけだ。永遠に顔も見られない。声も聞けず、会話もできない。

生きている、そして死なないように病院が見ていてくれる。ただ病気なだけだ。

幸せじゃないか。

先生には「また変わったことがあったら連絡します」と言った。電話をそこで終えて家に帰るため運転に戻った。

先生からの電話で高校受験のことがまた気になってきた。志望校を決めて出願するまで日がなかった。それも含めて数日でまた連絡をとらなければいけない。許可されている10分の電話で志望校を相談して決めるのは無謀な気がした。

 

 

家に着いた。実樹と夫は家に帰っていた。

保護入院するためには両親の了承が必要だった。そのため二宮医師は今日の昼間に保護入院を判断した際に直接夫と話していた。

夫に医師から電話が来た後どうなったかの流れを桜井先生にしたときよりだいぶ丁寧に話した。夫はうなずいて聞いていた。

「入院になるって予想してた?」と聞いてみると夫は

「全然してなかった。油断してた」と言った。私もだった。油断してた。咲と「嵐山に合格したいなら大変でも中学校に登校したほうがいい」と話したときに、私は入院はしないだろうといつの間にか思い込んでいた。その話をしたとき夫も私と同じように受け止めたらしかった。