中3 99 退院が決まった

中学3年
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病院に戻ったら今までいた個室に戻るのではなく、大部屋に移ることになっていたのに、今の今まで忘れていたのだそうだった。

個室にこだわっていないのならそれでもいいね。良くなってきたってことだよね。

私はそんな返事をしたのだと思う。咲はうん!、と言って、良くなってきたのは嬉しいけど、同じ部屋にずっと誰かがいるのはちょっと嫌だなと続けた。

一人でくつろぎたいよね、そう返事をすると、あと少しだからいいやと希望のある様子だった。

退院が近いから大部屋になっても心に余裕があるんだろうな。

病院の駐車場に着いて、私はまた新しいテレフォンカードと小銭を持たせて子供を閉鎖病棟の入り口まで送った。もう新しく持ち込む荷物はなかった。

入り口の鍵を開けてくれた看護師さんに付き添われて、2枚目のドアの内側に消えていく姿を私は平常心で見届けた。相変わらず全然名残惜しくなさそうな淡々とした背中だった。

今は「心臓に鉄の爪が食い込んで、そこから血が滴っていくような」辛さはなかった。子供の状態が良くなってきているのがわかるし、もうじき退院のはずだという安心もあった。それに家にいるより安全だ。子供が病院の不満を言うこともなかった。

だからもう我が子が精神病院に入院していることへの抵抗はあまりなくなっていた。代わって病院のすべてのスタッフや、高校生までの入院補助金制度や保健師の松本さんなど咲の入院に関わる仕組みも人にも感謝する気持ちが大きくなった。(でも中学校やその先生たちにはあまり感謝できませんでした…)

 

外泊後閉鎖病棟に戻ってから、咲は一日一回10分の権利の電話をかけてこないこともあった。電話をかけてきたときは新しく同室になった子たちとの会話の内容や、その日の出来事などをよく話していた。

その子たちとはお互いに自分たちの病気の背景も伝え合ったということだった。個室でなくなってもなんとかやっているようだった。同室の子たちも家庭の事情を抱えていた。家庭の事情がある子は発症する確率が上がるんだろうか。ウチは居心地の悪い家だったんじゃないかなと内心反省した。※入院してしばらく仲良くしていた子たちはもう退院していっていたので別の子たちです。

その話をしない時は「(体力つけようと思って)朝は病棟の中をぐるっと歩き回って運動してるんだよ」「退院したら服買いに行く約束してるの」

そんな未来への希望がこもっている言葉を聞けるようになってきていた。

 

退院が決まったと知らせる電話は外泊から戻った週の翌週にかかってきた。相葉さんだった。相葉さんは、いい報告だとすぐわかるキラキラした声で「咲さんの退院がきまりました、来週の24日です」と言った。

ついに退院だ。入院診療計画書では2カ月の入院予定だった。2月初めに入院して3月の終わりに退院なので本当に2カ月近く入院していることになった。長かった。でも今週末も外泊していいと言われたので実質の入院期間はもっと短かった。3月に入ってからは入院中の半分くらいは家に帰ってきていた。

退院の日は10時に病院に行って会計を済ませてから病棟に迎えに来てほしいと相葉さんは言った。

今週末の外泊が終わって病院に送って2日ほどですぐにまた退院で迎えに行く日程ということなので、それよりも退院の日を早められないのかなと思って聞いてみたが、それはできないのだと言う。(どういう都合だったのか忘れました)

なので病院の言う通り来週も2回病院まで往復することになった。

退院と聞いて嬉しかったが「トークンエコノミー」という療法は終わる。退院後どうなっていくのだろうかと不安な気持ちもあった。

退院したら高校で使うものを一緒に買いに行こう。ノートもペンケースも上履きや通学カバンやお弁当箱、それを入れるバッグ、水筒、他そろえなければいけないものはたくさんあった。制服のサイズは大丈夫だろうか。私は自分のやることを考えて、不安な気持ちを心から追い出した。

 

しばし迷ったあとに、桜井先生に咲の退院が決まったことを電話で報告した。3月中はまだ中学生だから報告した方がいい、先生も安心するだろう。先生は良かったですねと言い、離任式はどうしますか?と聞いてきた。

卒業式に出られなかった今となっては、離任式を欠席することなど些細なことだった。私は本人に聞くこともしないで「欠席します」と即答した。

桜井先生はそうですかとどことなく寂しそうな口調で言った。

なんとなく申し訳なさを感じながら私は電話を切った。先生への電話はこれが最後だった。

高校入学後咲はしばらくは低空飛行ながらも安定しているように見えていたので、卒業した中学校に「おかげさまで落ち着きました」と報告しようかと思って迷っていました。

当時先生方は私が考える以上に対応が大変だっただろうし、精神的にもダメージを受けたのではないかと思ったからです。

迷った末に報告はしなかったのですが、それで良かったと思っています。

咲は高校の途中から病気が再燃しました。

もしあの時「いろいろありましたが、今はすっかり落ち着きました」などと浮かれて報告していたとしたら、中学校の先生方に

「重度のうつ病でも半年程度で落ち着く」「入院すればすぐ回復する」

間違った解釈をされるところでした。

うちの子の問題に関わった先生方が、その後受け持つ生徒さんに対して間違ったうつ病の知識をもとに対応することになってしまったとしたら、その生徒が不利益を被ることになってしまいます。

報告しないでよかったです。