退院の日は会社を一日休んだ。
朝から何をやっても上の空になってしまって、やりかけた家事を途中で放り出した。ずっとソワソワしてしまっていて病院にも早めに着いてしまった。そこでいつもの窓のない細長い部屋に通されて長く待った。
不安や希望、諦め、感謝……いろいろな感情が交錯したのち、最終的にぼけーっと待っていると、女の人が部屋に入ってきた。
その人は何か挨拶をして[薬についてお話しします」と言い、咲の薬と副作用の説明をし始めた。多分自分の職業や名前も言ったのだと思うが全く思い出せない。
入院中はジェイゾロフトを処方されていた。入院になるまで処方されていたのはジェイゾロフトのジェネリック薬品のセルトラリンだった。(サインバルタ→レクサプロ→セルトラリンと、医師がうちの子から副作用を聞き取って薬の処方を変えていき、最終的に副作用が他より少ないセルトラリンが処方されるようになっていた。)
部屋に入ってきた女の人の説明は、入院中に飲んでいる方の薬(ジェイゾロフト)についてだった。多分退院後に薬局で処方されるのはもともと処方されていたセルトラリンではないだろうか。そうだとすると、この二つが同等品のような関係であっても、今後は処方されなさそうな方の薬について今わざわざ説明するのはどういうことなのだろう。ジェイゾロフトとセルトラリンの関係を知らない人は余計に混乱してしまうのではないだろうか。
それに説明はかなりざっくりしたものだった。わかりやすくて字も大きい資料を提示しながら、女の人はゆっくりと説明してくる。資料にはどこでもよく見かける「いらすと屋」のイラストが入っている。
理由はわからないけれど、病院が何か必要があってそうしているのだろう。最近の食品パッケージのやたらに細かく丁寧な説明みたいに、クレームをつけられない為の予防線を張っているんだろうか。漫画の「あたしンち」にそんなネタがあったな。「こんなに細かいと最終的には魚のパックに『骨にお気を付けください』と注意書きをつけるんじゃないか」っていう話だったかな……。
女の人の説明に「はい」と神妙に頷きながら内心はそんなことを考えていた。
その女の人が薬の説明を終えて出て行った後、またしばらく待った後主治医の二宮医師と相葉さんが部屋に入ってきた。相葉さんがいる日で良かった。本当にお世話になったからお礼も言えることが嬉しかった。
二人に挨拶するとちゃんと返事は返ってきた。でも前回と同じように医師は前置きなしに本題に入った。
咲さんは「人と同じでいたい」という気持ちが大きいです。「自分は人と違う」と感じたときに「恥ずかしい」と思って自傷をしてしまっています。
気にせず素のままの自分を出せる相手を増やすことが大切です。
家族の中ではお姉さんが素の自分を出せる相手です。お母さんは頼りたい相手です。(お父さんについては何も言っていなかった)
お母さんの考えと咲さんが求めていることはズレている場合があります。(ストレスにならないように)普段から自分の考えを話すことはやめて、どう思う?と聞かれたときに答える程度にしておいた方がいいでしょう。咲さんの考えをまず受け止めましょう。(傾聴しましょう。)
お父さんにも同じようにしてもらってください。(傾聴、受け止めをしてもらってください。)※夫の性格上無理だろうなと思った。
退院後はこれから咲さんが通う高校、病院、市の保健師(松本さん)で様子に変わったことがあったらその情報を共有するようにします。これをセーフティーネットと言います。
ですからお母さんは退院後は本人の様子をよく観察していていてください。何かのサインを出していたら、声をかけてみてください。サインは例えばふさぎ込む、部屋から出てこないなどの、いつもと違う様子の時です。病院の外来か、外来が電話にでない時にはケースワーカーさんに連絡を下さい。セーフティーネットで情報を共有し、対応を考えます。
お母さんがアンテナ役となってセーフティーネットに情報をあげてください。月に1度くらいづつ相談をしましょう。「がんばり表(入院中に受けているトークンエコノミー療法で使う表)も毎日書いてもらってください。次の通院の診察で確認するので持ってきてください。日常会話も大切です。人とつながりが強くなったと感じると咲さんは安心します。
これから通う高校にも連絡を取ります。先生も交えて相談したほうがいいです。高校から受ける影響が一番大きいはずなので、高校の先生にもアンテナ役になってもらいます。高校で自分が素で付き合える友人ができると、自分が他の人と違うという意識が薄まります。これが自傷の消えるキーポイントとなるでしょう。
医師の話はこういう内容だった。
自分の言葉が私にしっかり伝わっているだろうか、意味がわかるだろうかと、言葉の浸透具合を確認するかのように私の反応を見ながら話しているように見えた。今後の方針(案)が私にどう受け止められるかも見守っているように思えた。
素人の私にはその方針がいいのか悪いのか、判断する知識はなかった。でも常識的な内容に聞こえた。医師の言うセーフティーネットがちゃんと機能するかは疑わしいと思ったが、「わかりました、よろしくお願いします、お世話になります」と頭を下げた。それが区切りになったようで医師はあのくたびれたソファーから立ち上がった。
相葉さんが一緒に立ち上がって「この後少し待っててください。退院になりますので咲さんを連れてきますね」と言った。
私は医師にも相葉さんにも「咲のことにたくさん配慮してもらってとてもありがたかったです、ありがとうございました」と盛大にお礼を言った。
ここで「精神科退院療養計画書」(退院後の治療計画や療養上の注意点が書いてあるが形だけのもので内容はスカスカ)を渡されたのかもしれない。覚えてない。
二人は部屋から出て行きまた私は一人になった。
一人で「セーフティーネット」について考えていると、いろいろ疑問が出てきた。
何かのサインを出していたら病院に連絡する。どの程度のサインなら連絡するのかがよくわからなかった。
連絡をしたとしてもセーフティーネットですばやく対応ができると思えなかった。
まず主治医の二宮医師はこの病院の常駐ではなかった。それに平日の昼間以外は連絡手段がない。
病院の外来は土日祝日は閉まっているし、入院病棟もたびたび電話をかけたけど、つながらないことが何回かあった。ケースワーカーさんもいないし、働いている看護師さんもその日によって違う。全員にちゃんと咲のセーフティーネットのことは周知されるんだろうか。病棟に電話をかけたとして、そこで働いている看護師さんたちはその日抱えている仕事もあるのにさらにそんな面倒な対応をすることがてできるんだろうか。
市の保健師や高校の先生だって土日は休みだ。誰かの個人の電話番号を教えてもらえるとも思えなかった。
それに全員常に忙しいだろうから、わざわざ緊急会合を開く余裕はないんじゃないだろうか。
会場の心配だってある。病院のカンファ室は使えるんだろうか。普通に考えたら医師が主導するんだろうけど、二宮医師はこの病院に常駐していない。医師不在の時にはセーフティーネットは全く動かないんじゃないだろうか。他に誰か主導権を持つのだろうか。
直ちに対応するという意味ではなく、情報を共有する目的で連絡してほしいということなら、月に一度程度の共有の場ですればいいのではないだろうか。私は中学校の校長室を思い出だした。あれをまたやるのか……。
うちの子と同じような状況の子だってほかにいるはずだ。その子も同じように別のセーフティーネットを持っているとしたら?対応しきれるんだろうか。
私の理解が何か間違っているんだろうか。もし私の理解が間違っていないのならば、正直言って上手くいかないのではないだろうか。
このセーフティーネットが母親の私を含めて月に一度の情報共有、対応会議をする場だとすると、うちの子が高校を卒業するまで一度もその会合は開かれませんでした。医師の話ぶりから、何かの支援会議が開かれていることはわかっていましたが、「お母さんがアンテナになってセーフティーネットに情報を共有する」の部分は無くなったのかもしれません。診察時の本人の話や医師の所見を共有することになったのかもしれないです。
ドアが開いて相葉さんと咲が入ってきた。痩せてしまったままだけど表情は明るく、目がキラキラしている。頬にも色がある。大きい手荷物を持って立っているのを見てついに家に連れて帰れる!そう実感した。
モヤモヤしていたセーフティーネットへの懸念はすっとび、私の頭の中は目の前にいる娘のことでいっぱいになった。
相葉さんに再びお礼を言って、相葉さんも笑顔で何か言ってくれたことを覚えている、この人は咲に本当に良くしてくれた。
うちの娘を大切に扱ってくれてありがとう。先生(医師のこと)ありがとう。病院の皆さんありがとう。おかげで帰れます……!
相葉さんの「じゃあ咲さん行きましょうか」の声で
私の方が出口に近い位置にいたので何気なく先に立って歩いていき、ドアを開けると、病院のスタッフの方々が廊下の両脇に並んで待っていた。
私は驚いて立ち止まり、私に続いてドアから出てきた咲も「わ!」と驚いて声を上げた。
10人以上はいたと思う。こんなに大勢の人に咲は支えられて入院生活を送っていたのか。ずっと見守ってくれていて、たくさんお世話をしてくれていたのだろう。そして今、見送りまでしてくれる。
皆さま方のおかげでうちの娘は退院できることになりました。心から感謝します。ありがとうざいます……。
この病院のスタッフの方々にも、本人の頑張りと医師、学校の先生、保健師さん、私が知らないところでお世話になっているはずのたくさんの方々にも、全員にお礼を言いたかった。神仏のご加護も確実にあったと思う。
スタッフの方々が仕事の手を止めて見送りにきてくれていると思ったので「あなたのために集まってくれているんだからあなたが先に歩きなさいよ」と促すと、咲は戸惑いながらも「はーい」と素直に返事をして、私の前に立って歩き出した。するとスタッフの方々から拍手が起こった。
「パチパチパチ」と大きな拍手の音と笑顔のスタッフの方々に見送られて咲も私も「ありがとうございます」と何度も頭を下げながら閉鎖病棟の出口に向かって進んだ。その中に二宮医師もいた。二宮医師が咲に笑いかけているのが見えて、私の心に感謝では表現しきれない何か大きな感情が沸き上がった。少し涙が出た。
閉鎖病棟の鍵は相葉さんが開けてくれた。「咲さんよく頑張ったね」最後まで相葉さんは優しく、相手思いの言葉をかけてくれた。
「外来にも当番で行くことがあるから(受診の時に)また会うよ」「そうですか、よかった!楽しみです。大人っぽくなっててびっくりするかもしれませんよ」
相葉さんとうちの子のちょっとした会話からも、相葉さんを信頼しているのを感じられた。嬉しかった。それから相葉さんは手を振りながらドアの鍵を閉めた。
娘がその内側に帰って行くのを何度も見送ったドア。姿が見えなくなってしまってからも名残惜しくて俯いてその場に立ち尽くしたあのドア。
咲はそのドアの外に出ることができた……。
帰りの車の中では病院での面白エピソードを咲がたくさん披露してくれた。退院が近いと周りの様子がよく見えるようになるんだなと思った。
高校の準備のことや買い物の計画なども話した。でも中学校のことは二人とも話をしなかった。もう中学生は終わりだ。過去になるんだ。
暗黒の中学校生活とはお別れできたが、高校に進学してからの心配はある。
うちの子は発病してから頭の回転が鈍くなり記憶力が落ちている。ワーキングメモリ(パソコンに例えるとメモリに相当する頭の働き)も相当に落ちている。
だからこれから勉強についていけずに辛い思いをするだろう。成績が悪いことでクラス中での見る目も気になってしまうだろう。
でも、もし本人が「病気があるんだから仕方がない」と割り切れるようになれたら。それくらい大人になれたら高校生活も楽しめるのではないだろうか。
それに中学と高校の人との距離感はだいぶ違う。地元の昔から知っている子供たちしかいない、固定された人間関係から逃れただけでも楽だと思う。
結局物事は本人がどのように受け止めるかで全く変わってくる。その受け止め方は本人が決めているんだ。
それなら、「成績なんて気にしないでいい」、そう言い聞かせて本人の気持ちが少しでも楽な方にひっぱろう。肝っ玉母ちゃんみたいに振舞って、少々のことは笑い飛ばして安心させてやろう。「なんだ大したことないんだな」と思わせることができれば最高だ。
振り返ると、気持ちだけはありましたが演技力なかったですね……
これからもこの子を支える。そう考えると心がきゅっと引き締まって、ハンドルを握る手に力が入った。
家についたらゆっくり休ませてやろう。高校の準備は後回しでいい。夕ご飯は咲の好きな海鮮丼にしようかな。
3月もあとわずかで終わりで、空気が暖かくなってきていた。