この頃に自傷がはじまった。体を傷つけるのではなく、拳で自分のお腹や胸を強く叩いたり自分の両手で喉を絞めつけたりする自傷だった。
拳で自分の体を叩くときには私もその場に遭遇したこともある。強い力でドスっと体にめり込むような音を立てて自分を殴りつける。一発でやめるがしばらく苦しそうにうずくまっていた。
授業中に発作のように自傷の衝動が出てしまったときには、頬杖をつくように見せかけて両手で自分の喉を絞めていたと咲が言っていた。誰にも気が付かれないように自分を傷つけるのに都合が良かったようだった。
咲の心の中の深いところまで自分自身を責める気持ちがあった。部活の最中で自分がうまく動けないとき、他の生徒とうまくコミュニケーションができないとき、あの子はずっと自分を責め続けてたと後から聞いた。発症してからは自分のことで両親が悲しみ苦しんでいるということはあの子もよくわかっていた。だから余計自分を責めてしまっていた。
両親に自殺未遂を知られてからは最後の逃げ道(自殺)を「自殺しない約束」によって塞がれてしまった。それ以降「自分を責める気持ち」が強くなると自傷していたようだった。「すっきりする」のだという。
のちに処方された抗不安薬(飲み続ける抗うつ薬とは違い、心の状態が不穏な時に単発で飲む薬)を使用することで自傷は減っていった。自傷はこの後半年くらい続いた。抗不安薬も合う薬を探して何度も変更された。
また同じころに「小さい生き物をいじめたくなった。ひどい目に合わせたくなった」そういう気持ちになったことがあると後から振り返って言っていた。