中3 33 代わってやりたい

中学3年
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この「自分が代わりたい」的考えは私の妹が自殺した当時も常に頭の中にあった。

妹は性格もよく頭もよく私よりずっと優秀な子供だった。妹の方がみんなに好かれていた。両親にもかわいがられていた。だから私が妹の代わりに死ねばよかったとずっと思っていた。妹みたいな愛されていた子が生きていた方が周囲の人にはハッピーだったはずだ。たとえ私が妹の代わりに死んだとしても妹よりは悲しまれないはずだ。悲しむことはあったとしても、やがて忘れて日常に戻っていくだろう。

当時はそういう風に考えていて自分が生きていることに罪悪感を持っていた。両親も内心私が死んで妹が生きていてくれればよかったと思ったのではないか、と思ったりもした。

 

自殺で残された家族が辛いのは家族を失った悲しみに対してだけではありません。「自分がこうしていれば死ななかったかもしれないのに」などど自分を責める気持ちが常にあり相当なストレスです。私のように自分が死ねばよかったと思う人もいるそうです。

私が自分を責める気持ちを忘れられたのは、「妹を助けられていた場合」を空想しているときだけでした。空想の中では私は妹の好きな飲み物を飲ませて家に連れ帰り、何か月間かを元気になるまであれこれと世話を焼いて過ごしていました。当時は何度も何度も繰り返し妹にやってあげたいことを思い描き、束の間自分の辛さを忘れられました。しかしその空想から醒めてしまうと妹に永久に会えないという現実が戻ってきてさらに辛くなりました。

また周囲の人たちが妹の死の状況を細かく聞き出そうとしてきます。普段は全く話をしない人も近づいてきます。そのたびに傷つけられて怒りが湧き、悲しみが増します。しかし優しい言葉をかけられたときも、普段とは違う腫れ物に触るような態度にやはり傷つけられます。誰にどのように接しても結局傷つけられるのです。例えるのなら、心を守る鎧が壊れて中身がむき出しになっているかのように脆くたやすく簡単にダメージを受けます。

 

でも結婚して子供ができてからは子供がかわいくて「自分が死ねばよかった」とはもう思わなかった。生きていてよかったと思った。子供はそれくらいかわいくて大切だった。

その大切な子供が苦しんでいると思うと自分がバラバラになりそうに苦しい。でも、咲はもっと苦しい。私の辛さなんて咲の辛さに比べたら大したことはないはずだ。だからしっかりしなくては。私は咲を支える。私が折れてはだめだ。咲を死なせない。絶対に死なせない。