中3 78 医師と話す2

中学3年
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成人病棟で書いた入院診療計画書には入院の期間は2カ月と書いてあったがそれは予想される最大値ということだった。実際にはもっと入院期間が短くなる場合もあるものらしかった。

心配していた受験については

「受験に関する外出や外泊は全て許可します」と医師は言った。もうじき受験直前の最後の模試があった。それを受けたいと咲が言っていたので聞いてみるとその場で許可が出た。模試の日は当日迎えに行って夜の8時までに病棟に帰ってくるように決められた。相葉さんがそのことをメモに取っていた。

咲の症状について今どのあたりにいるのかと聞いてみると、医師はすぐ持っていたメモ紙に折れ線グラフを書いて、グラフの線の急性期を脱した後の、調子が上向いていく途中の一点を「この辺です」と示した。折れ線が右肩上がりになってからの、頂点に比べて1/3くらいの高さのところだった。

「これからどうなるのか」「治るのか」聞きたいことは他にもあった。

でも医師にもそれはわからない。本人の気持ちも周囲の環境も、医師にも親にもコントロールしきれるものではない。それに医師は神様ではない。万能じゃない。未来のことは誰にもわからなかった。

医師は私が質問をやめると、それを待っていたかのように入院診療計画書の書き直しをしてほしいと言った。病棟を移ったためだった。

わかりました。と返答すると、医師は「書いたら相葉さんに渡してください。わからないことがあったら聞いて下さい」的なことを言った。それから立ち上がって「お大事に」だったかそんな感じの結び言葉みたいなことを言って病室を出て行った。別に同情してほしいのではないが、最初から最後まで淡々としていた。

※いちいち患者さんに同情したり肩入れしたりしていたら正しく診断できないし、自分も参ってしまうだろうし、患者さんに依存されてしまう場合もあるのではないでしょうか。距離をとるのが正しいと思います。患者の家族の立場で言えば物足りない気もしますが。

※この様子も記憶で書いているのでいろいろ違っているかもしれません。

残った相葉さんに聞きながら入院診療計画書を書いた。本人の署名欄は後で書かせるそうなので、自分の署名だけ書いた。

相葉さんは咲の様子をまた話してくれた。

聞いていると咲は問題なく病棟で過ごしているようだった。勉強もしているらしかった。

「そうだ、洗濯ですが」相葉さんは続けた。「今は面会の時にお母さんが洗濯物を持って帰っていますよね。咲さんなら自分で洗濯できます。次の面会のときに洗剤と小銭を持ってきてもらえれば自分で洗濯できます。」と言った。洗剤には名前と苗字を書いてナースステーションに預けて置き、洗濯するときに渡してもらうのだそうだった。小銭も同じだった。洗濯と乾燥とで1回の洗濯には200円かかるそうだが本人が自分で洗濯をした方がいいと思った。

トークンエコノミーには洗濯のの項目入っていないようだと私は思った。