「卒業式第二部」が終わると、校長室にいた大勢の先生方はまたぞろぞろと教務室に戻っていった。校長室には私とあやか親子、それぞれの担任の先生、他に校長先生と教頭先生が残った。
すぐにあやかの担任の先生が「(あやかが学校に置いていた)荷物を渡すので教室に一緒に行きましょう」という内容のことをあやか親子に向けて言った。
親子はすぐに応じて、校長先生と教頭先生に挨拶を口々に言ってから担任の先生と一緒に校長室を出て行った。あやか母だけ私に会釈をしていった。
続きを引き取るような流れで、桜井先生が「咲さんの机やロッカーにあった荷物もまとめてあります」と言って私を一緒に来るように促した。私も校長先生と教頭先生に会釈をして校長室を出た。これが最後の校長室となった。
桜井先生は教室に向かわず、別の方向の廊下を歩いて行った。私は後ろに続いた。暗い廊下を少し歩いた先のプレートのない部屋のドアを開けると、中は小さい作業部屋という風になっていた。実樹が在学中に担任だった丸井先生が、その部屋の小さいテーブルに向って何か作業をしていた。
「ご無沙汰してます、実樹は元気ですよ」と私は声をかけた。
「咲さんも元気になればいいのですけど」と丸井先生は気遣うような表情で返事をしてきた。
「絶対に治します」
自分でも驚くほど強い口調でお腹から言葉が出た。
「絶対に治します」自分の心底の願いだなと自分でもわかった。(この圧力が病気の咲には苦しくて本当に嫌がられた。あとから咲が言っていた)
丸井先生は少しだけ私に笑いかけ、何か返事をしてきた。それから作業中のファイルを持って部屋を出て行った。
桜井先生は部屋の隅にあったダンボール箱を持ち上げ、さっきまで丸井先生が作業していたテーブルの上に置いた。咲の荷物だった。
教科書、ノート類だけだろうか。その上に卒業アルバムと卒業文集が入っていた。
その箱の中を簡単に確認して私は先生に礼を言った。
きっと私が思っている以上にこの人に負担をかけていたと思う。部活のことには全く取り合ってくれなかったけれど、もしも先生業が激務じゃなかったのなら、きちんと対応してくれたのだろうか。
今までののらくら戦法は良心に恥じない行動だったとこの人は自分自身に言えるのだろうか。無かったことにして問題に蓋をして、それで終わりでこの人自身は本当に良かったのか?
こんなことをやっていたら、スルースキルだけが上がって問題解決で得られる経験値はない。同じことが何回起こってもこの対応だったらゼロのままだ。
中学校は子供が生きていく基礎を培う大切な時期に大きな役割をするのではないか。その中学校が、問題が起こった時に生徒や保護者の訴えを無視する風潮なのだとしたらどういうことになるか。
咲の中学校だけでなく市が、県が、国自体がそういう先生たちばかりなら、中学校を経て歪んでしまう子供が多くなるではないだろうか。大げさかもしれないけれど、国自体が、歪んでしまった人間が多くいる未来に向かってしまうのではないだろうか。
加害側の生徒たちは進学した高校でまた嫌がらせを他の生徒にするだろう。気に入らない人を攻撃して、その人が傷ついた様を見てスカっとストレスを解消し続けるだろうし、人を貶めて相対的に自分の立ち位置が上がったとすることで自尊心を守っていく。そういう思考のまま大人になってしまうのではないだろうか。
被害側も傷を負う。軽傷なら自分で回復できるだろう。でも重症になってしまった場合、傷を負う前だったら順調に進んでいったはずの人生のレールにはなかなか戻れない。病気になってしまったり、不登校になってしまったり、最悪中の最悪は自殺してしまうかもしれない。
そうでなくてもその後の学校生活や人生経験を通じて得られる様々な感情や経験、もしかしたら今後も糧となって自分を支えてくれた出来事があったかもしれないのに、傷ついて歪んでしまっていたとしたら、そういったギフトが受け取りにくくなってしまう。
例えば卒業式に出席するという、普通の生徒なら当たり前のことが、咲にもあやかにもできなかった……。
いずれ傷は治り、歪みももとに戻れるかもしれない。でも10代や20代の数年は、その価値が中年や老年とは全く違う。成長期の非常に密度が高く貴重な時期が損なわれてしまうのだ。
咲もそうだ。あの子も傷ついて歪んでしまった。
私がごちゃごちゃ考えていても
もうじき咲の中学校生活は終わる。3月31日まで自殺しなければ、在校生ではなくなる。この中学校は咲の問題から間もなく逃げ切るだろう。