笑いが口元に残っているのを感じながら、ついでに部活の関係でつながっていた保護者のアカウントを全部友達から削除した。これからは無関係なのだからどう思われてもいい。連絡が取れなくても困らない。今までだって咲が入院したことは知っているはずなのに保護者会長以外からは誰からも連絡は来なかった。これからもないはずだ。でも困らないどころかむしろ気分はすっきりした。どこかでばったり出会ったら気まずいだろうけど無視すれば済むことだ。
私は本当はママ友も繋がりも欲しかった。子供の話を聞いたり自分の子供の話をしたりしたかった。イベントを共有して楽しみを分かち合いたかったし、部活を通じて子供たちの成長を喜びあいたかった。
保護者は子供が主役のステージで黒子のように活躍しているし、保護者なしでは子供ステージは成り立たない。しかし黒子奉仕活動が当たり前のように思われていて感謝されていない。必須なのに空気並みの存在感だ。だからそんな保護者同士で「私たちも頑張ってるよね」とねぎらい合いたかった。
でもそんなのはマンガの中のだけの話だったんだろうか。繫がりが持てることも期待して実際に部活の保護者会に所属してみると、誰とも性格が合わなくて辛いだけだった。昭和スポ根系とは私たち親子は合わなかった。咲は委縮してブレイもぼろぼろだったのでそのことでも居心地は最悪だった。
これでいい。もう関係ない。
それから表示されたページを閉じてスマホを放り出して着替えた後、桜井先生に小部屋で渡されたダンボール箱の中身を確認するためにもう一度開けてみた。記念品や文集、回収してきた咲の荷物などが入っている。文集は全く読む気になれなかった。咲の原稿は載っているのかどうかわからなかった。(原稿の締め切りが病気の悪化時期と重なっていたので)載っていないのだとしてもそれを確定した事実として受け入れたくなかった。だから表紙だけ見て箱に戻した。
他に入っているものを一通りざっと眺めてから卒業アルバムをパラパラとめくってみた。すると名刺のサイズのカードがはらりと床に落ちてきた。それには手書きの文字が書いてあった。
「自分の対応が良かったら結果は違ったかもしれなかった、ごめんね」
そういう内容だった。(実物は一度読んだだけで、その後本人が読んですぐにゴミ箱に捨てたので文章はあやふやにしか覚えてません)
桜井先生が咲に書いたカードだった。万が一学校を訴訟したならば物証に使えそうなカード。先生の良心、もしかしたら後悔。
私達にとってはカード一枚で終わらせられるような問題ではない。でもそれでもカードを入れるほどには良心の呵責があったんだろうか。