初診だと診察自体で一時間かそれ以上かかる。前の二つの病院ではそうだった。
咲が問診票を書いている間に私は周囲をキョロキョロと見渡していた。A病院は精神科だけの病院なので建物の中に入るときだけイヤだったけれど、入ってしまえば知り合いには会わないだろう、そう思って少し気が楽になった。
今は病院に対しては感謝する気持ちだけです。精神病院がイヤなんて少しも思いません。
待合室には窓に面した6畳くらい広さの畳敷きのスペースがあってぬいぐるみや絵本が置いてあった。そこだけ小児科の待合室みたいだった。小さい子も診察を受けるということなんだろうか。でもそこで遊んでいる子供はいなかった。待っている数組の子は見たところ小学生の高学年か中学生くらいだった。うちの娘と年はそんなに変わらないように見えた。
待合室から見て廊下を挟んだ反対側に診察室と書かれた部屋が3つ廊下沿いに並んでいた。ドアは閉まっていた。一番待合室に近い診察室の隣は看護師さんたちがいる部屋で、ドアは開け放たれていて中の様子が見えた。狭い部屋で壁の一面が資料?が並んだ棚になっていた。
並んだ診察室の先にも廊下は続いていた。突き当りはドアだった。部屋に通じているドアではなく、廊下を仕切る役目のドアらしかった。そのドアを通って学生らしい雰囲気のグループが出入りしていた。何かの実習か見学なんだろうか。そのグループが通るときには一時にぎやかだが、それ以外は待合室も看護師さんたちがいる部屋もしんとしていて誰も話をしなかった。咲が問診票をめくる音だけ大きく響いた。
30分くらい待って名前を呼ばれた。私たちより先に来ていた親子より早く名前を呼ばれて驚いた。
診察室に入ると、30代くらいの普通の男性の医師が待っていた。大野医師の診察室と同じように患者の椅子から見て直角に医師の机が配置されていた。でも今回の医師は顔を上げてこちらをちゃんと見ていた。部屋にはPCもモニターもなく、紙のカルテと万年筆が机に置いてあった。
近くに椅子は一つしかなかったので私は部屋の隅に離れて置いてあったベンチに腰かけた。
日渡咲さんですね。死にたいということで話を聞いています……
医師は「二宮です」と名乗り、咲の状態を聞いてきた。咲は自分の状況を客観的に話し出した。自傷と自殺未遂のこともまるで普通のことのように自然に話していた。まだ午前中なのにすでに疲れているようだったが感情を高ぶらせることなく淡々とし話し続けた。二宮医師は話を聞きながらずっとカルテに何か記入していた。万年筆を走らせ続けていて全然止まらない。(失礼ながら書記みたいに見えてしまった。)
話が一通り終わり二宮医師の万年筆も止まったので、私は咲が触れていなかった私の妹の自殺について話した。(咲は私の妹の自殺については知っていた。実家の仏壇にある私の妹の写真を見て誰?と聞かれたことがきっかけだった)二宮医師は「そうですか」と言って詳しくは聞いてこなかった。手に持った万年筆も止まっていた。
家族の自殺についてはケースバイケースで関連を判断するのだろうか。二宮医師にとって患者の叔母にあたる人の自殺はカルテに書くことではなかったらしい。
私の話はさらりと流して次に医師は「志望校についてですが」と私も夫も話題にできなかった高校受験について言及してきた。
「嵐山高校に行きたいです」咲は元気な時から変わらずに目指していた高校の名前を言った。