それ以上の内容を詰めることはなかった。冬休みに登校する話は今日はここまでらしかった。
あの子はどう思うんだろう。部活で学校に来ている下級生たちに姿を見られるのを嫌がるだろうな。考えていると
「一つ聞いていいですか?」保健の先生が私に言った。
「咲さんはちゃんと薬を飲んでいますか。飲むふりだけで実際には飲んでいないということはないでしょうか?」
私は目の前で薬を飲ませていて、飲み込むのを確認していると答えた。一日一回夜に飲むだけなのでいつも傍で見ていた。
(舌の裏や口の端に薬を隠して水だけ飲めば飲むふりはできるはずなので、本当には確認できてはいなかった。でも薬を飲みこまないためには舌で薬を押さえながら水を飲む必要がある。それにはまず舌を動かして薬を押さえるはずで、舌を動かすときはわずかに顎や喉も動く。目を凝らして見ていてもそういう様子はなかったし、咲が「当面は生きていく」と決めているのなら薬で辛い症状を抑えたいだろうから飲むはずだ、だから本当に飲んでいると判断していた。)
それから
咲は私が薬を本当に飲んでいるかを確認していることに気が付いている、
と付け加えた。
保健の先生はわかりました、と言ってそれ以上は何も聞いてこなかった。
以前はお互いに何でもないやり取りや冗談を言えていた。
でも今は「ちゃんと薬を飲んでるの?」すら言えなくなっていた。
咲にとっては私は「死なないで」ばかり言って自分の邪魔をする面倒な存在だったのではないだろうか。愛情は感じただろうけれどそれが負担で重苦しくも感じたのではないだろうか。甘えてくることもあったけれど。
私にとっては咲は本心がわからない子供になってしまっていた。どう対応したらいいのかもわからなかった。死にたい気持ちを隠されていたこと、それに気が付けなかったことで私は親としての自信が全く無くなっていた。
死にたいと言ったら反対されるのが当たり前なので、もし私が咲の立場だったらやはり親には絶対に言わない。死ぬと決めたら誰にも言わないで一人で実行する。それまで誰にも邪魔されたくないと思うだろう。
それはわかる。でも実際にそうされると本当にショックで悲しかった。信用して話してほしかったとどうしても思ってしまう。
自殺未遂が発覚したあともずっと子供の気持ちを考えていて、気が付くと自分の悲しさや苦しさでキャパがいっぱいになってしまう。子供のことを考えているつもりが結局気が付いたら自分の気持ちを考えてしまう。
しつこく死なないで言い続けるのも自分が安心したいからだ。私が咲に死んでほしくないのだ。本人は死にたいのだ。死にたいのに我慢して生きている。私のために我慢してるのだろうか。
死にたい人を死なせてやらないのは私のワガママなんだろうか。
死にたいというのが病気の症状だとわかっていてもどうしても悪い方に考えてしまう。そんな私より咲の方がよほど大人なんじゃないかと思った。
保健の先生が質問してきた後は誰も質問してこなかったので、そのまま校長室から解放されて帰った。私はもう他の先生方や松本さんの様子は見なかった。
「今日は泣かなかっただけでもスゴイじゃない」と私は一言だけ自分をほめた。
家に帰るまでに気持ちを切り替えよう。普通にふるまわないと咲がまた学校に何か言われたの?と険しい顔で問い詰めてくる。病気が発覚する前なら絶対にしないような詰問口調だ。わりと堪える。
(私の気持ちは)関係ない。私は咲を支える。本気で死ぬ気で絶対に治す。
学校の帰りにそんなことを考えていた。