夫と娘が二人で話した後で,私達は今度は親子三人で一度長い間話し合った。本人の気持ちもよく聞いた。咲は私たちの言うことを聞いて自殺しないと約束した。
そして卒業まであと少しの間このまま今の中学校に通い続けることにした。ただし、辛かったらいつでも休んでいいということに決めた。
まるで今日の出来事がなかったかのように、今の延長の生活を続けることを私達親子は選んだ。
今にして思えば咲にはとても残酷な選択だったのに、その時はそれがベストだと思っていた。受験を考えてのことだった。
心配だから私は当面咲の部屋で寝起きすると言った。進学校を受験する予定でいたので「受験勉強ができないよ」と、うちの娘は渋った。
「受験勉強ができないよ」に生きる意志があると少し思えて、私はその言葉に縋り付いた。そして心配だの不安だのを無理やりに心の奥底に追いやった。自分の気持ちをどうにか制御するに精いっぱいでだった。
その後娘は気分転換にお風呂に入ると言って着替えを持って部屋を出て行った。
夫婦二人になったときに夫は私に聞いてきた。
「担任の先生に言う?」
私は言いたくなかった。
私も娘も桜井先生のことをあまり信頼していなかった。クラスは荒れていた。その原因の一つとなっている、ある厄介ごとの仲介を娘は桜井先生に頼まれていた。仲介はうまくいっていなかった。それが心をさらに削っていた。自分の心に余裕がないことを先生に伝えてはいたのだが、とりあってくれなかったのだと言っていた。
先生に伝えるとどうなるか。
最悪なのは自殺未遂をクラス全員に話してしまうことだった。そんなことをされたら本当に自殺してしまうかもしれない。過去には先生の行動が結果的に生徒を自殺に追い込んだいう事件がいくつもあった。先生に伝えてもっと事態が悪くなるのは怖かった。先生が自分たちの味方をしてくれるかどうかも全くわからなかった。もしかしたら聞いた話をそのまま聞かなかったことにして握りつぶすかもしれない。
鴻上尚志さんのほがらか人生相談にも「いじめに対する闘いは、学校の「ことなかれ主義」「隠蔽主義」「無責任主義」に阻まれて、本当に苦しいものになります。」という文面があった。
それにうちの娘は自殺未遂のことを先生に伝えるのは嫌がるだろうと思った。嫌がることをわかっているのに先生に伝えてしまったら、私たちは咲からの信頼を失うかもしれない。
そうしたら私たちの言うことをを全く聞かなくなってしまうかもしれないし、そのことが自殺の引き金になってしまうかもしれない。それも怖かった。
先生に口止めした上で伝えたとしても、先生が詳しい事情を聞きだそうなどとして娘に気づかれる可能性がある。
「俺もそう思う」
夫も言った。辛そうな顔をしていた。
「でも今後のことを考えたら何も知られないほうが内申点に響かないね。」
この言葉はどちらが言ったのだったか覚えていない。この後も同じレールに乗っていけると信じていたからこそ出た言葉だったと思う。