直前模試の日の朝、病院に咲を迎えに行った。いつもの部屋に通されて待っていると、相葉さんと咲が一緒に部屋に入ってきた。
相葉さんは夜の八時までに戻ってくること、そして遅くなる場合は必ず病棟に連絡するようにと私たちに言った。外出時の決まりのようだった。それから手に持っていた紙を渡してきた。
夜の八時までには戻ります。困ったことがあったり体調が悪くなったりしたらすぐに連絡します。医師の指示は守ります。
そういう内容がひらがなが多い文で書いてあり、(内容はもっとあったような気もしますが忘れてしまいました)本人の署名と、保護者の署名の欄があった。
それぞれの欄に署名した後、
「お母さんも咲さんも一回ずつ音読してください。」と言われたので一度づつ音読した。私は本人ではないので主語を「咲は」として話した。
その署名付きの外出時の約束の書式の複写の2枚目と、医師の外出許可証を相葉さんは透明なプラスチックの書類ケースに入れて「持っていて下さい」と私に渡した。
「夕食は食べてきますか?」相葉さんは柔らかい表情で聞いてきた。「はい」と私は答えた。夫もあとから合流して3人で海鮮丼を食べるつもりだった。生ものは病院での食事には出てこなかったし、この前食べたいと本人が言っていたので食べさせてやりかった。
実樹はまた部活で帰りが遅いから行かないと言っていた。(実樹の可処分時間はほとんど全部部活に吸い取られていた。実樹は別に部活内でトラブルはなかったけれど、私は運動部の部活動なんてこころから大嫌いになっていた。正直今でもケガと病気の温床だと思っている。※あくまでも個人的な意見です)
「はい、どこか海鮮丼が食べられる店に行こうと思ってます。」答えると、そうですか、と相葉さんは言ってから咲に「たくさん食べてきなよ」と笑いかけた。「はい、食べてきます」と咲もうれしそうに返事していた。ちゃんと二人の間で信頼関係ができているように見えてうれしかった。
直前模試より海鮮丼に注意を向けていてくれた方がよかった。少しでも辛い気持ちになりそうな事柄から離れてほしかった。
模試はきっと壊滅的な結果になるだろう。でも病棟から外出ができて外食ができるし、模試を受けたいという希望も叶えられる。受験の予行練習にもなる。それだけでも希望だ。
模試はお昼を挟んで一日かかる予定だった。
あの子は模試の会場の誰も知らない集団の中で一人で親の手作り弁当を食べるのは嫌だろうと私は思っていた。だからお弁当は本人にコンビニで好きなものを選んでもらった。
手作り弁当の方が「体に良いから」とか「親の愛情を感じられるから」と私個人の意見を通すこともできる。あの子なら私の言っていることの正当性を認め手作り弁当を「ありがとう」と笑顔で受け取るだろう。
でもあの子にできるのは受け取るところまでだ。多分「食欲がなくて食べられなかった」などと言って手つかずの弁当を心から申し訳なさそうに謝りながら返してくる。多分受け取るときから食べないで返そうと決めている。そして弁当を食べないことで、お腹を空かせて午後の模試を受ける羽目になることもわかっている。模試に集中できなくなるのもわかっている。
それをわかった上で私を傷つけないために弁当を受け取り、自分の心を守るためにその弁当を食べない。
あの子が病気になる前に、そういう性格だともっとはっきり私が認識できていれば病気になることを防げたのだろうか……。