そんな特異な環境にいるだけで保護者の私もメンバーの咲も大きなストレスを感じていた。
練習試合になるとレギュラーの子たちの保護者はビデオカメラと三脚を持ってきて試合をすべて録画する。その録画は家で繰り返し見て批評したり研究したりする。(家族や仲の良い保護者達で録画の内容についてどんな会話をしているんだろうと想像すると恐ろしい。)もちろんギャラリーの良く見える場所はその人たちが陣取る。三脚とビデオカメラが並ぶギャラリーはもともと狭いのにさらに狭くなる。試合に出ていない子の保護者は上席を譲って端に固まる。自分たちが居る場所のギャラリーの手すりには部活の応援旗をかける。良い場所を探すのも、応援旗をかけるのもなぜか保護者の仕事だ。
試合が始まれば保護者達はメガホンを持って応援する。子供のユニホームに似せてそろえた保護者用Tシャツで、試合に出ていない子たちが応援歌を歌い始めたらすかさず一緒に大声で歌う。メンバーのファーストネーム全員分を言うまで応援歌は続く。応援歌は何種類もあってそれぞれ手拍子付きだ。タイミングはどの場面でどの種類の手拍子をするかまで、わざわざ声をかけなくても完璧にそろう。試合中の掛け声もまるで自分たちが試合に出ているみたいに真剣だ。保護者の声は子供たちと違って声が若くないので、応援歌は子供たちに圧力をかけているだけみたいに聞こえた。
試合中に誰かがミスをするとその誰かの親が「すみません」とその場の保護者たちに謝る。私も何度も謝ったことがあるけど、喜劇の役者になったような妙な気分だった。
試合の合間は持参したお菓子や飲み物でお茶タイムになる。お菓子を持ってこないと各自が配っているお菓子を受け取るだけになってしまって気まずい。そのお茶タイムはチームの子たちや顧問の先生の悪口などは言わずに、無難なウワサ話やただの雑談で終わる。仲が良くて一緒にいるのと違うのでつまらない無駄な時間だった。咲もチームの中でそういう孤独を味わっていた。
私にとっては子供の練習試合の日は辛いだけだった。時間の浪費以上に精神が削れられてへとへとになった。でも行かなければ誰かの親にうちの子まで送迎してもらわなくてはならない。それは嫌だった。私も咲もその部活になじめなかったので気軽に送迎を頼める保護者がいなかった。
咲もそうだったと思う。私よりずっとずっと比べ物にならないくらい辛い思いをしていたと思う。
そんな部活だから上手い子と下手な子では同学年でも上下関係ができていた。保護者も子供と同じ序列で上下関係ができていた。
居心地が悪すぎて何人も辞めていく子がいた。咲も辞めてしまえばよかったのだが、耐えてしまった。
病気になるまで追いつめられるなんてその時はわからなかった。
横道からもとに戻ります。
週末の面会で思春期病棟に入るとまた窓のない細長い部屋に通された。前にいた成人病棟と同じ部屋かと思うくらいそっくりだった。ソファーも同じくらいくたびれていた。
その部屋に通されて待機していると数分待っただけですぐ咲が入ってきた。
「面会時間は15分です、終わったらそこの電話で知らせてください。電話は受話器をあげれば看護師につながります。」
そんな内容を言われたと思う。
咲はにこにこしながら病棟のことを話し出した。
「思春期病棟に移ってきたら同じくらいの年の子がたくさんいる」
「私より小さい子もいる」
「朝はテレビを見てご飯を食べて病棟の中を散歩してから部屋に戻るよ」
そんな話を笑顔でずっと話していた。饒舌だった。同じように辛い思いをして入院した子たちと接しているうちに気分がほぐれてきたのだろうか。家にいるよりずっと生き生きとしているように見えた。頬も紅潮していて目もきらきらしている。肩が少し細くなっていたのが気になったが、全体的にみて入院前よりも調子が良さそうだった。
15分はあっという間に過ぎた。私は洗濯ものを受け取ると新しい着替えやタオルを渡した。病衣ではなくて私服で過ごすそうなので、着そうな私服を何枚か買っておいた。
他にもコンビニで買ったテレフォンカード(まだ普通に売ってることに驚いた)と小銭、お風呂に行くときにお風呂セット一式を入れる洗面器、お風呂の前に脱いだ服を入れるビニール袋、スリッパだと歩きにくいからバレエシューズ型の内履き、プラスチックのコップだと熱いものを入れたときに熱がすぐに伝わってきて使いにくいからステンレスのコップ。無香料のリップクリーム(香り付きのものを持っていったら無香料しか許可できないと言われてナースステーション預かりになっていたのでその代わり。香りに敏感な子がいるので香料付きは基本的には何でも許可できないのだそうだ)咲が持ってきてほしいといったものは全部用意してきた。
小銭は看護師さんに必要なものを病院の中の売店で買ってもらうために必要で、普段はナースステーションで預かっているのだそうだ。