「居間に行こうか。」
私が玄関のすぐ脇にある居間に行くと、黙って咲もついてきた。
そしてソファーに並んで腰かけた。そのままどのくらい時間がたったのか憶えていない。ほんの数分だったのかもしれない。
「言いたくなかったら言わなくてもいいよ」
話す気がないなら機会を待つか。相変わらず怒った顔のままの娘に向かってそう言うと、これまでずっと黙っていた咲が言った。
「じゃあ言うよ・・・死のうとしたの。
今日は学校に行くふりをしてこっそり途中で戻ってきたの
みんなが出かけて家に誰もいなくなるのを待ってたの。それから一人で自殺の準備をしてちゃんと死ぬつもりだったの。」
私にはその言葉をちゃんと理解することができなかった。
冗談言わないでよ、そんなことするはずない。何も変わったことなんてなかったでしょ。朝食もちゃんと食べたでしょ。
「学校行きたくない!」
って言ってたけど毎日ちゃんと学校に行ってたじゃない。
今日もいつも通りの朝だったのに。どうしてこんなことになっているんだろう。頭の中がまとまらないまま私が言った。
「うそでしょう?」
「なんで?どうして?」
こんなことが起こるはずがない。咲が死のうとするわけがない。これは夢なんだろう。
私は今起こっていることが全然信じられなかった。今の今までうちの娘は死にたいそぶりなんて少しも見せていなかった。学校での面白かった出来事も今までずっと、よく話しをしてくれていた。もう引退したけれど、部活で相当な苦労をしたこともその都度話してくれていた。今のクラスのことで悩んでいることも話してくれていた。「(悩みは)卒業することで全部解決だね」と言うと「わかってる」と言っていた。死ぬなんて理由がない。数か月先には新しい生活が始まって、今の悩みなんて過去になるのに。
「うそだよね」
私がすごい剣幕で重ねて問い詰めると咲は言った。
「本当だよ。私は死にたいの。すぐ死にたいの」
「私は絶望してるの、ずっとこれから先も生きていくなんて耐えられないの」
「今まで本当に大変だったけど、これから高校に行ったら全然違うよ。今のクラスとも学校ともつながりはなくなるんだよ。」
「これから先に明るい高校生活があるじゃない」
「これから楽しくなるんだよ」
今私が言っているのは、うちの娘が今までの部活やクラスのことで悩んでいるときに何度も話し合い、繰り返し伝えてきたことだった。今更心が動くとは思えない。今までと同じことを言っても無駄な気がした。咲の死のうとする気持ちは固いのではないだろうか。しかしその一方で全く反対の気持ちもあった。
「この子が死のうとするはずない。何かのはずみだ」と。
「本当に死のうとしたの。部屋で準備してた。もう少しだったのに」
悔しそうな顔を見てもまだ信じられなかった。私は咲の部屋に行った。今の話は冗談だという裏付けが欲しかった。咲もついてきた。
部屋には本当に本人が言っていた通り死ぬための準備がしてあった。ドアに紐付きのタオルがぶら下がっていた。そのタオルがぶら下がっている真下に咲の学習机とセットの椅子が置いてあった。
私は自分が泣いていることに気が付いた。
「ごめんね。気が付いてあげられなくて…ごめんね…」
涙がどんどん出てきて鼻の奥がずきずきしていることにもやっと気が付いた。咽の奥がぎゅっと締め付けられるように痛い。苦しい。咲も同じように泣いていた。