中3 26 校長室

中学3年
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松本さんは無理しないで下さいねとかなんとか労わりの言葉をかけてくれた後「私から大野医師(先生)に連絡をとってもいいでしょうか?」と聞いてきた。私は「わかりました」と答えた。医療関係者同士何か対策できるならしてほしかった。私が何をできるかを教えてほしかった。

診察ダイジェスト発表が終わると私は帰った。松本さんはまだ校長室に残った。夜の8時近くになっていた。先生方も松本さんもまだ帰らないんだろうか。平日は何時まで仕事をしているんだろうか。休める日はあるんだろうか。帰ってから家事をするんだろうか。咲のために動いてくれる人たちに対して申し訳ないな、ありがたいなと思った。

ありがたいと思う一方で先生方の保身も感じていた。私が咲が病気になってしまった原因を話し出したとき先生方の多くは無言だった。学年主任の先生は急に興味を失くしたかのように「ああ」と簡単に相槌を打っただけだった。担任の桜井先生は「ところで……」と話題を変えた。原因の話をわざと避けていると私は感じた。今回の対応も、咲が本当に自殺してしまったとしたら学校側も面倒なことになる。それを防ぐため、学校のために対策している面もあるのだろう。

前回私が校長室に来たときは、迎えた先生方は内心はクレームをつけられるかと戦々恐々としていたのではないだろうか。だから私が学校を責める様子でなかったことに内心はホッとしたのではないだろうか。前回も今回も先生方がぞろぞろ出てきたのは私がクレームをつけてこないように牽制する意味もあったのではないだろうか。

私は大きな原因となった(と思っている)部活については学校に言いたいことはあった。でもその部活の先生は転勤しておりもうこの学校には残っていない。それに部活トラブルの内容は人間関係だった。そこまで学校のせいだとは言えない。もう一つの原因のクラスのもめごとの仲介は咲だけでなく他の生徒も関わっていた。それも学校にクレームを言うところだったのかもしれないが、咲の病気の原因の9.5割は部活だろう、クラスのもめごとの仲介は発症のきっかけになってしまったのかもしれないが、それがなかったとしても、他のことがきっかけで発症してしまったのではないだろうか。もうその時にはギリギリのところにいたんだと思う。

それに私は今学校に対して今クレームを言う体力も気力もなかった。部活の生徒やその親に対してもそうだった。もう関わりたくなかった。私が持っているエネルギーも時間も咲のために使う。クレームに使う時間はない。だから学校には味方になってもらう必要がある。腹の内はお互いに違ったとしても。